去年、お芝居で「贋作 桜の森の満開の下」見てます。凄かった。その時にこのシネマ歌舞伎でやるよーというチラシもらっていたので、やっときた、という気分。
歌舞伎での舞台もすごかった。スクリーンで見たとはいえ、迫力;; 泣いた。
んで。
なんとなくぐにゃぐにゃと思ったことを書きなぐります。まとまりも結論もなし。
たまたまですが、ちょっと前に、京極夏彦の『虚実妖怪百物語』を読み終えてました。この小説、なんていうか、えーとまあ、鬼や妖怪が現実に滲み出すみたいな。
ま、その。面白かったというかさすがなじみがあるのでこの分厚さでもぐいぐい読ませるさすがのうまさでした。あんまり好きでもない、と思いつつ、最後には納得の感動させられたりもあって、よかった。
と、それはともかく。
ああ鬼だなあとぼんやり思ったのだった。自分の中で。この二つ同じころに読んだ見たのは自分の都合ですが。
『鬼がつくった国・日本』というような小松和彦の本を読んだのははるか大昔で夢枕獏大好きっこだったから読んだのだけど。もうほぼ記憶はありません。
鬼、というのは悪しきものですが、自然でもあるような。
虚実 の中では、鬼は悪くて妖怪は余裕、みたいな感じ。
桜の森 の夜長姫 は、ピュアで残酷です。姫だけど鬼。その凄味が物凄くて、舞台の時の深津絵里にも参ったし、歌舞伎の七之助もすさまじくよかった。凄い。
今、の、日本。鬼が妖怪をおいやっているかのような。という感じがすごくどうしようもなくこわいのだけど、そこを本当にフィクションが描き出しているんだなあという感動があった。
改元がきて、近々お札を新しくする。次は大仏建立でしょーってネタが回ってきますが、ネタだけどまあまあマジな気分じゃないですか。まーもちろん宗教がらみになるから国家事業としてやるってことはないだろうけど。(天皇制も宗教絡みだろーけどそこはもう日本は日本だからな)
上皇っていうのが復活かーとか、なんか、中世めいてきているというか。世界がぐにゃんと歪んできてるみたいでへんな気がする。
オリンピックに邁進とかも、なんか昔に帰りたいみたいでへんな気がする。けど、大河の「いだてん」は、過去を描きながら、うつくしいことも、でもそこでちゃんとへんなことはへんな気がするってこと、両方描いていると思う。
フィクションの力で、へんな気がする、こわいことを、なんとか、なんとか、いい方向を目指したいという気持ちが描かれている気がする。
桜の森の満開の下に、鬼がいて。けれどただ、冷たい虚空がはりつめているばかりになる。
鬼は、人が退治する。
退治できるはず。鬼と、共存、できる? できるかもしれない。
世界が壊れれるとき。というのが時々あった気がする。この頃続けてみた「記者たち」「バイス」でも思ったけど、9.11の時、世界が歪んで別次元になった気がする。並行世界、つーのか。9.11や。阪神大震災や東日本大震災や、これまで普通に暮らしているこの世界が、何か別のものに、何かもっと悪いものに歪められる瞬間があった気がして、別の世界になってしまった、という気がする。私が感じるのは日本でのことだけだけど、何か。多分。いつも無数に世界は分岐しているのかも。
清水玲子さんの『月の子』読んだときが強く感じたのかなー。別の、平和な世界があったのではないか、と。
フィクションの力があると思う。より良い世界を考えたい。
そんなこんなのぐにゃぐにゃを書きなぐってまとまりなく終わり。