蛙の目借時

なんとなくなんでもなく

ごきげんよう

水辺の散歩道

 

 本日も散歩。今日は水辺の散歩コースを行きました。

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湧き水のほとり。

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透明だなあ。キラキラ~

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季節は新緑だ。

 ステイホーム。出口が見えないねえ。

 散歩に出歩いているけれども、単なる郊外の住宅地なので、すれ違う人もまばら、なので、ソーシャルディスタンスは大丈夫なはず。

 と、こんな謎のカタカナ言葉を使う日々とおさらばしたいぜ。

 

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八重桜も葉っぱがより多くなってきている気がする。

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キラーン。今日は風が強めで、ごうごう揺れるたびに太陽がちらちらでした。

 

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白と黄色。

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蜂が飛んできて写真撮れました。花粉団子が脚についてるかな?

 写真撮って歩いて、水辺はキラキラで、でもなんだかせかいが滅ぶ、みたいな気持ちになるんだよなあ。間違えた並行世界に迷っているような。やれやれ。

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公園の花壇、色鮮やかにたくさんの花があってきれい。嗚呼。ミッドサマー……。

 

 公園に、多分忘れ物なのではと思う帽子が置いてありました。

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母さん、ぼくの帽子、どうしたでしょうね? というフレーズが浮かぶ。

 なんか、思い浮かぶ、この 母さん、という呼びかけ。なくした帽子。って、なんだっけ。ぐぐってみよう~。で、西城八十の「ぼくの帽子」という詩なのだと認識しました。

 

 ぼくの帽子   西條 八十

―母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
 ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
 谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

―母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
 僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、
 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。―

―母さん、あのとき、向から若い薬売が来ましたつけね。
 紺の脚絆に手甲をした。―
 そして拾はうとして、ずいぶん骨折つてくれましたつけね。
 けれど、たうとう駄目だつた、
 なにしろ深い谿で、それに草が
 背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。

―母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
 あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
 もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
 秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

―母さん、そして、きつと今頃は、―今夜あたりは、
 あの谿間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう、
 昔、つやつやひかつた、あの以太利麦の帽子と、
 その裏に僕が書いた
 Y・Sといふ頭文字を
 埋めるやうに、静かに、寂しく。―

  ぐぐってよそ様からコピーさせてもらった。こんな詩だっけ。

 そして、映画「人間の証明」の宣伝でキャッチフレーズのように使われていたのかーと知りました。多分それを見たことがあって印象が残っているのか。映画を見た覚えはないなあ。多分テレビでやったりしてただろうから、少しは見たことあるだろうけど、どういう映画だっけ、わからない。見てみようかなあ。アマプラにある、けど、有料だ。ん~。レンタルしてもいいかなあ。ん~。覚えていたらまたそのうち。

 でも、このフレーズの強さ、すごい。「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」

 せかいはだいじな帽子をなくしちゃってるみたいです。