蛙の目借時

なんとなくなんでもなく

ごきげんよう

ハイクがなくなった暮らし

 日曜日の朝です。今日は天気がいい。うれしい。

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ハーイ( ´ ▽ ` )ノ

 

 昨日「アベンジャーズ エンドゲーム」を見ていろいろ書きなぐり、一晩寝てちょっとは落ち着いてきた。
 この春は、終わる、春だった。

 なんつってもハイクの終了ですよ。あれから一か月ほど。つくづく、私はハイクの中で暮らしていたなあと思う。
 ハイク終了後、すごく寝るのが早くなったもんね。暇で。
 もともと大体23時くらいには寝る方だったけど、この一か月、大体22時、もっと早く、って感じで寝てる。ま、4月の始めに風邪ひきさんになっていて、意図的に早寝早寝ってしていたのだけれども、そのままわりともう寝よっかなーって感じになっています。

 ハイクの次に、という所へなんとなく行きそびれて、ツイッターでもうだうだしつつ、けどやはりツイッターだとハイクの「いちはる」の感じとは違うし書けないし。


 で。
 ハイクのIDページ代わりにしたいなあって、このブログをミニブログだよーと自分の中で定めて、ちょっと落ち着いている。気づきもお役立ちも何もない、ただの私の日常のよしなしごと。
 でもやっぱりハイクの代わりにはならないよなあと思う。このさみしさが癒えるのはもっともっとゆっくり時間がかかるんだろう。
 ハイクに10年近く入り浸っていたんだものなあ。

 そんなこんなの、一つの暮らしがなくなった気持ちの一か月です。
 終わる、春だった。
 
 季節は変わる。日常は続く。ハイクでないところでの暮らしもあったし続くし、慣れていくしかない。

 映画見てドラマみて相変わらずの全力の現実逃避でいます。ヒーローがいるのはフィクションの中。でも心にヒーローの姿を持つことは、希望だなって、ほんっと、この年になったからこそまたすごい沁みる。
 「希望」だなんて、けっ、って感じでベタに苦笑いしてみせたりするような気分がどっかあるけど、けれど、「希望」ということばが、心が、本当に大事で輝くものだということを、改めて思う。フィクションの力を思い知るよ。映画っていいねえ。
 別にあんまり毎日の中に希望なんてないなあという、平々凡々な小市民俺、ですが、だからといって絶望ばっかりしてるのはツライ。
 「希望」。
 せかいに希望があると、信じて願ってほんの少しでも、せかいいがよくなるように、する。

 というような意味もまとまりもないうにゃうにゃを、ハイクに書き散らしてたし書き続けたかったなあ。けど、まあ、なんとなく、ここで書き散らして意味もなくおいておこう。
 
 これから新緑の季節。

 冬の終わり、春の始まりの最初が、個人的には一番気分が落ちるころで、そこにいろんな終わりがきて落ち着かなかったけど、エンドゲームも見たことですし。新緑の季節が一番好き。時は巡るなあ。


 コーヒー豆がなくなったので買いに行くのが今日のさくせん。よし。

 以上。